私事ですが、昨日、母が亡くなりました。
88歳という高齢でしたが、田舎のホームで元気に生活し、
毎日、ひとりでウォーキングしたり、買い物に行ったりと、
ずっと元気に暮らしていました。
悪性のリンパ腫だとわかったのが一ヶ月半ほど前、
あっというまに身体は変化し、自分で身のまわりのことができなくなりました。
母自身が、そんな自分自身の体の変化にとまどっているようにも見えました。
夜中すぎにに病院から、あまり状態がよくないという電話があり、
昨日の夕方、私が病院に駆けつけたときは、
少し目を開けて、酸素マスクをつけ、必死に呼吸をしていました。
母の手を握り、頭を撫ぜ、私はなぜか「もう大丈夫だから」と言っていました。
絶対に大丈夫……。すると母は開けていた目を閉じ、
そしてしばらくして、呼吸が止まったのです。
ラム・ダスの師(グル)であるニーム・カロリ・ババの逸話には次のようなものがあります。
別のときに、何人かの帰依者と座っていると、
マハラジは突然、まわりを見回して「人がやってくる」と言った。
しかし、なんの物音も聞こえなかった。数分後、ある帰依者の使用人が姿を現した。
その男が口を開く前にマハラジは、
「彼が死にかけているのは知っているが私は行かない」と怒鳴った。
男はその言葉を聞いて震えあがった。なぜなら彼の主人は数分前にひどい心臓発作を起こし、
マハラジを呼びに行かせたからだった。
しかしながら使用人やまわりの人がいくら説得してもマハラジは行こうとしなかった。
ついにマハラジはバナナをつかむと、その使用人に渡してこう言った。
「このバナナを持っていきなさい。彼は大丈夫だ」。
男はもちろんバナナを持って駆けつけ、
心配していた家族はバナナをつぶして病気の男性に食べさせた。
そしてちょうど食べ終えると、男は息をひきとったのだった。
(『覚醒への糧』第9章「死に逝くことは目覚めのチャンス」)
私たちはふつう命が助かることを”大丈夫”だと言います。
しかしながら、そうではない”大丈夫”があるのだとしたら……。
母が息をひきとって間もなく、
クリスマス前ということもあり、病棟で、明かりを消して看護師さんたちがキャンドルを持ち、
クリスマスソングを歌いながら廊下を歩き出しました。
病棟の廊下には、看護師さんたちがキャンドルを持って歌う「聖しこの夜」が流れました。
「メリークリスマス!」
病院の関係者は、私たち親族に、亡くなって間もないのに申し訳ない、と言いましたが、
私はその歌を聴きながら何とも幸せな気持ちになっていました。
そういえば子供の頃、私の家には鉢植えのモミの木があり、
クリスマスになると、そのモミの木は居間に移されて飾り付けがされました。
おそらくそのモミの木は、一年のこの時期のために、私の家にあったのでしょう。
そこには、子供にクリスマスを味あわせたいという、母なりの優しさがありました。
そして、昨日、病院で看護師さんたちの「聖しこの夜」を聴きながら、私の中には
「おめでとう!」という思いが沸きあがりました。お母さん、ありがとう、そして、おめでとう!
ラム・ダスは、死について
「死は絶対に安全である」と言いました。
私たちの多くが忌み嫌う死が、なぜ「絶対に安全」だと言えるのか。
『ビー・ヒア・ナウ』の翻訳者のひとりである吉福伸逸は、
かつてワークショップで「死とは何か」とたずねられ、
「死とは、私が<私である>と思っているものの外だ」と答えました。
私が<私だ>と思っているものの側からすれば、
死とは絶対に避けるべきもの、恐ろしいものでしょう。
しかし、もし軸足を、私が<私だ>と思っているものから少しずらしたとしたら、
死とは「絶対に安全」であり「大丈夫」なのかもしれません。
私自身、まだそう言い切れる自信はありませんが、
母の死は私に、<生の真実はそこにある>と教えてくれた気がしています。