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ラム・ダス  「いま・ここ」に在ること

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『覚醒への糧──心の探求の道しるべ』(サンガ)ってどんな本?

前回のブログで、私は、15年近く前から、ラム・ダスの「グリスト・フォ・ザ・ミル Grist for the Mill」という本を訳し始めていたと書きました。でも、なぜそんなに昔からこの本をどうしても訳したかったのか……。下に、私が以前書いた、この本の紹介文を載せますね。長いですが読んでいただけるとうれしいです。

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毎朝、通勤通学で満員電車に押し込まれて決まった時間に決まったことをするのがあたりまえのことだ、と私たちは思っている。それをやっていないと<ふつう>じゃない、どんなに苦しくてもやり続けなければならない。学校に入って卒業して、就職して、結婚して、女性なら出産して、さらに子供を育てて、その子供が結婚して……。まるで自明の目的地に向けて高速道路を走っているようだ。でもよく考えてみると本当は目的地なんてあるのだろうか。そして私たちには実のところ、この高速道路を走り続けなければならない理由なんてあるのだろうか。

1960年代のアメリカでは、若者を中心に、それまでの社会の価値観からいったん外に出ようというムーブメントが起きた。それは当時、彼らが様々なきっかけを通して、自分というパーソナリティの強固な枠組みが壊れるという体験をしていたからだろう。その多くは、当時合法だったサイケデリックスを通してだったかもしれないが、まさに時代がそうさせたとも言えるだろう。彼らは、自分が見ている世界が本当は宇宙のごく小さな一部で、もっと広大な領域がその背後に広がっているという実感、体験を持った。自分が見ているこの人生というのは、もしかしたらもっと途轍もない広がりと気が遠くなるような奥行きを持った宇宙の、ごくわずかな表面にすぎないのではないか、と。

私がこのような感覚に襲われたのは、32歳の頃。偶然の糸がつながり、アマゾンのシャーマニックな植物に出会ったときだ。当時、日本の文化人類学者たちも研究していたその飲み物を飲んだとき、見慣れていたはずの世界の背後には、信じられないほど多層で豊穣なエネルギーが渦巻いていた。「この世界は、私が<こうだ>と思っているものとは全然違っているのかもしれない」。全身に鳥肌が立つようなこの感覚。お腹の底から突き上げて、私という存在の裏と表をひっくり返してしまうような、眩暈(めまい)にも似たこの感覚。圧倒的な恐怖と畏怖。でも私の中の<わたし>が言った。「これは、あなたが忘れてしまっていた大切なものなんだよ」と。

同じ頃、仕事で千葉郊外の高台に立つ建物の部屋にいた時のことだ。私はひとり座って、片側一面すべてガラス張りの大きな窓から、外の田園風景をぼうっと眺めていた。空の向こうから、鷲か鷹だろうか、鳥が窓をめがけて飛んできた。鳥は黒い小さな点だったのがみるみる大きくなってほとんどガラスにぶつかりそうなぐらいまで接近してきた。開いた羽の裏側の細かなグラデーションになっている模様が隅々まで見えた。そのとき<この鳥の羽は、人間が作ったものではない>というあたりまえのことが浮かんだ。ではいったい誰が?そうなるとすべては何が……?今まであたりまえに思っていた私の足場が揺らぎ、前景と背景が入れ替わった。そしてその背後に広がる、計り知れない真空の宇宙に頭がクラっとした。

私は、高速道路を降りて、知らない土地の知らない道を歩きはじめた。この国で<ふつう>とされる生き方ではなく、<安定>や<保障>と言われるものとは反対の道を歩き始めた。確かに勇気は必要だったけれど、「社会のなかで決められた道、高速道路から降りて、自分の道を行くんだ」という<ドロップアウト>の高揚感が前に進む原動力となった。でも残念ながら、高速道路を降りることが目的地なのではない。降りたあとにも、人生、旅は続いていく。社会との関係は続いていく。<ドロップアウト>の高揚感が去ったあとも、地図なしに歩いていかなくてはならない、ひたすら長い道のりがある。そこにもやはり、ときに満員電車があり、お金の支払いがあり、人間関係の網の目がある。

そんなときに手にとったのがこの本『覚醒への糧』の原著Grist for the Millだった。
1963年にハーバード大学の心理学教授をドロップアウトしたリチャード・アルパートがラム・ダスとなり、『Be Here Now』がベストセラーになってから5年後に出版された本だ。本のタイトルのGrist for the Millとは、粉挽の機械によって粉々にされる穀物という意味で、私たちが生で経験するすべてのことは、粉挽によって砕かれて、小麦や、さらにはパンになる穀物のように、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、何もかもすべてが糧になるということだ。どうやらこの旅は、人びとが思っている以上にはるかに長いタイムスパンで続いているらしい、とラム・ダスは言う。それは、私たちのマインドによる想像を超えた、途方もなく大きな流れの一部なのではないか、と。

この本のなかでラム・ダスは、理論や比喩や具体例を使って、自分がどのような道の途上にいて、何に気をつけたらよいか、どこに落とし穴があるかを気づかせてくれる。旅はいったん始まったならば、決して戻ることはない。私たちは自分の声、<心のなかの小さな声>に耳を澄ませながら、ときに迷いながらも歩み続ける。そして最終的には、まるで炎に引き寄せられる蛾のように、あらがいようもなく、まっすぐに、炎へと向かっていくのだ、と。

どうしてそんな生き方をする必要があるのか、とあなたは言うかもしれない。「いまは身の周りのことで手一杯だし、とりあえずなんとかうまくいっている、確かに、私は頭痛持ちだし、時々わけもなく泣きたくなるけれど……。」別に、無理に高速道路を降りる必要はない。今はその時ではないかもしれない。でも、人生で、どうしようもなく行き詰まってしまって、息ができないほど追い詰められてしまった時は、その場所がすべてではなく、ほんの少し視点を変えればまったく違う世界が見えてくるかもしれないということを忘れずにいてほしい。

おそらく私たちは、自分で考えているような存在ではないかもしれない。そして世界は、私たちが想像しているようなものとは違っているかもしれない。

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本に興味があるかたはこちらで見られます。



by rd-beherenow | 2017-08-26 12:12 | ラム・ダス